古/いにしえの面影       其の一阡参百七拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年03月11日 土曜日
アップ日  2018年03月20日 火曜日
奈良県御所市小殿
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

下街道(しもかいどう)は、
郡山(大和郡山市中心部)を起点に、筒井のあたりで西へ方向を変え、
額田部唐院(磯城郡川西町)、小柳(磯城郡三宅町)、
箸尾(北葛城郡広陵町)、南郷、高田(大和高田市)へと南下し、
忍海(葛城市)、御所(御所市)を通って風の森峠を越え、中街道、伊勢街道と合流し五條へと至る。
大まかには、大和郡山から大和高田にかけては大和盆地内の環濠集落間を縫うように通るため、
特定の国道・県道沿いを通っているわけではないが、概ね奈良県道108号大和郡山広陵線に沿っている。
大和高田以南は概ね国道24号沿いを通るか国道そのものが旧街道に相当する。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
 南向けば先は
船路の集落抜けて
風の森峠を経て五条
右は葛城の道へ~

舟岡山
新四国八十八ヵ所霊場も近く

下街道風の森峠北側の
五百家(いうか)地区

※北へ~街道は山際を
うねりながら続きます。

五百家地区を抜けて

※小殿地区へ~

前にも



街道は
小殿集落中心地へ~



家永韜庵(難しい字ですね)
1809-1866 江戸時代後期の儒者。
文化6年生まれ。大和(奈良県)葛上(かつじょう)郡の庄屋の出身。
京都で頼(らい)山陽にまなび,家塾をひらく。
兵法にも通じた。慶応2年10月22日死去。58歳。
名は政惇,淳。字(あざな)は伯厚。通称は弥太郎。
著作に「澹斎(たんさい)長沼先生伝」
(コトバンクより)


※生家でしょうね。

街道沿いの
庄屋家屋

※鳥襖付の飾り瓦
 

金剛力酒造本社だそうです。



琺瑯看板



街道風景に溶け込みながら…
周りをキョロキョロしながら~

モダンでお洒落な
御家も~


太神宮燈籠
伊勢街道ですもんね。

※此処に来たかったんですわ~
R24からはこんな風に~

遠くから見たら
映画館か劇場と思っていたんですが…

※一般の方の御家です。

瓢箪型の手摺り部材は
建築家の御夫婦が
自分だけで作られたとか~
(地元の方談)

※和洋折衷
ウットリしますわ。

前に
負けていませんよね!

※剣カタバミ紋付の
丸窓飾り~
エエですね!

ドーム屋根形状も
良く分かります。

※空き地が有って
全景が良く見えます。

和式家屋も
丸窓など御洒落に!

※土蔵は~
漆喰が…

寄贈は
豊中市の方名~

※『そうれいばし』で
おおかわ渡って
葛城の道~

見返れば
堂々と

※おおかわ(葛城川でしょうね)

何とか~

※大門も~

手摺りにも
意匠が~
料理旅館だった?



丸窓意匠~

※何度も
見返りながら~

太神宮燈籠
伊勢街道ですもんね。



此処にも
太神宮燈籠

※西蓮寺さん
此処にも
太神宮燈籠


 

公民館兼ねた
西蓮寺さん

※金剛山の懐で
遊びました。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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