古/いにしえの面影       其の一阡参百七拾四
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2016年10月29日 土曜日
アップ日  2018年04月05日 木曜日
京都府宮津市宮本(和貴宮神社)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

宮津市(みやづし)は、京都府北部に位置する市。
日本海の若狭湾に面しており、日本三景の天橋立がある。
間に与謝野町(旧岩滝町)を挟み、市域が南北に飛び地になっている。
この南北の飛び地を天橋立がつないでいるが、自動車は天橋立を通行できないため、
自動車で南北の飛び地間を移動するときは与謝野町を通過することになる。
市の中心部は南部にあり、市街地が宮津湾に面している。
天橋立の東側、栗田半島の西側の海が宮津湾、天橋立の西側が阿蘇海である。
栗田半島にはリアス式海岸の入り組んだ地形が見られる。
北部には世屋高原がある。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

宮津市内中心部近くの
カトリック教会が見える路地
前には

※化粧地蔵様が~

宮本自衛消防隊本部

※表門は向唐門

向唐門入って
正面より~

※和貴宮大神
扁額

北前船(きたまえぶね)とは、江戸時代から明治時代にかけて
日本海海運で活躍した主に買積みの北国廻船の名称。
買積み廻船とは商品を預かって運送をするのではなく、
航行する船主自体が商品を買い、それを売買することで利益を上げる廻船のことを指す。
当初は近江商人が主導権を握っていたが、後に船主が主体となって貿易を行うようになる。
上りでは対馬海流に抗して、北陸以北の日本海沿岸諸港から下関を経由して
瀬戸内海の大坂に向かう航路(下りはこの逆)及び、この航路を行きかう船のことである。
西廻り航路(西廻海運)の通称でも知られ、
航路は後に蝦夷地(北海道・樺太)にまで延長された。


※手水鉢

お百度石

※拝殿舎正面

拝殿舎内部
社殿内狛犬も~

※江戸期の絵馬

牛若と弁慶

※組付く武者絵



※五百年記念碑

狛犬


※吽

なにわ型?
左右逆ですね。

※河内屋佐兵二 願主

中々の意匠の石燈籠



本殿舎

※神輿蔵

境内風景

※波越稲荷




小さな祠も祀られている宮越岩
海岸の名残とか~

※手水鉢?

 神馬舎

※生き馬の様な~
前には

奉納馬
高岡製でしょうか?

※拝殿舎の飾り
波に菊

懸魚の飾り

※奥には~
松に鶴

江州・越前・京都・大坂
各地の商人の名が…

※大和屋・阿波屋・銭屋五兵衛~
銭屋 五兵衛(ぜにや ごへえ
安永2年11月25日(1774年1月7日) - 嘉永5年11月21日(1852年12月31日)は、
江戸時代後期の加賀の商人、海運業者。
金沢藩の御用商人を務めた。姓名の略から「銭五」とも呼ばれる。幼名は茂助。
「五兵衛」は銭屋代々の当主が襲名する通称。
銭屋は戦国時代に滅亡した朝倉氏の末裔を称し、
初代の吉右衛門が金沢に移住して以来、
両替商のほか醤油醸造・古着商などを手広く営んだ家系であった。
父(五兵衛)が金沢の外港である宮腰を本拠に海運業を始めたが、
不振となりいったん廃業。
子の五兵衛が39歳の時、質流れの船を調達して海運業を再開した(文化8年(1811年ごろ))。

(Wikipediaより)

境内風景~


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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