古/いにしえの面影       其の一阡参百五拾四
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年03月01日 水曜日
アップ日  2017年04月11日 火曜日
徳島県海部郡牟岐町川長関(山頭火歌碑)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

種田 山頭火(たねだ さんとうか、
1882年(明治15年)12月3日 - 1940年(昭和15年)10月11日)は、戦前日本の俳人。
よく山頭火と呼ばれる。自由律俳句で著名。1925年に熊本市の曹洞宗報恩寺で
出家得度して耕畝(こうほ)と改名。本名・種田正一。
「無駄に無駄を重ねたような一生だった、それに酒をたえず注いで、
そこから句が生まれたような一生だった」。
山頭火は晩年の日記にそう記した。その時には、すでに無一文の乞食であった。
その境遇は山頭火自らが望んだものだったが、乞食に落ちぶれた後、
克明な日記をつけ続けた。放浪日記は1930年(昭和5年)以降が存在する。
それ以前も記していたが、自ら焼却した。その生涯には不明な部分も多いが、
俳句以外で自らを語ったことが少なく、親しい者でも山頭火の経歴の多くを知らなかった。
死後になり、遺稿日記が公開され、生涯の一部が明らかになった。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

牟岐の町中から日和佐に向かう
国道沿いに取り残されたような
家が立ち並んでいました。
空き地も見られます。

※昭和14年(皇紀2599年)
5月にノモハン事件が起こっています。
日本全土が浮かれた皇紀2600年記念前の年。
きな臭い時代だったんですよね。
今の時代も嫌ですが、少し似てますかね?

山頭火も昭和14年に四国巡礼の途中に牟岐に寄られています。
国道沿いの、この集落にも宿屋は有ったとか。。
『しぐれて ぬれて 真っ赤な柿もろた』 
宿泊の長尾屋にて 山頭火



グーグルマップにも載っていません。
石垣は、あの日のまま…



このスタイルが宿屋だった…
日和佐に往来の重要な地点だった?



梅と

※蝋梅の季節。。。

ふらふらと
梅の花咲いて
旅仕度~駄


しだれ梅が指す
旧土佐街道碑



関部落

山河内トンネル
左には山河内駅

※緊急退避所此処にも~
前にも
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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