古/いにしえの面影       其の一阡参百五拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年03月01日 水曜日
アップ日  2017年04月11日 火曜日
徳島県海部郡牟岐町牟岐浦(浜崎地区)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

昭和南海地震(しょうわなんかいじしん)は、
1946年(昭和21年)12月21日午前4時19分過ぎに潮岬南方沖(南海トラフ沿いの領域)78 km
(北緯32度56.1分、東経135度50.9分)、深さ 24 kmを震源としたM8.0(Mw8.4)の地震である。
1946年南海地震とも呼ばれ、単に南海地震といえばこの地震を指すことも多い。
南西日本一帯では地震動、津波による甚大な被害が発生した。
この領域では周期的に大地震(詳細は南海地震参照)が発生しており、
前回の南海地震である安政南海地震から92年ぶりでの発生となった。
また、この地震の2年前である1944年(昭和19年)12月7日には昭和東南海地震も起きている。
その地震後に今村明恒は「宝永地震や安政東海・南海地震は東海・南海の両道に
跨って発生したものであるが、今回の地震は東海道方面の活動のみに止まっており、
今後、南海道方面の活動にも注視するべきである」と指摘していたが、
当時これに耳を傾けるものはいなかった。
1940年代半ばの日本ではこの他にも1943年(昭和18年)の鳥取地震、
1945年(昭和20年)の三河地震といったいずれも死者数1000人以上を出している
大きな地震が相次いでおり、これらの地震は太平洋戦争終戦前後における「4大地震」ともされる。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

牟岐川
大川橋で渡って~
西の町へ

※出羽島行き連絡船のりば

牟岐みなと節
阿波の牟岐町           沖ノ大島
南に向いて春を待たずに     姫神様は通う船路の
豆が咲く            守り神
野口雨情詞


出羽島小唄
私しゃ出羽島漁師の娘
かいろやろの音で目を覚ます
(はやし)ヨイショ デカノーエ



牟岐農協会館
マークも…

※港風景~

日に6便
島の幼稚園児も
四国本土に通うそうです。
乗って行きたかったなぁ~



茶九羅屋サン
何屋さんでしょうか?

※夢二の港屋なんて
雰囲気も似合いますが
ねぇ~

牟岐町役場前に
久米隆次郎功績碑
第一次町長
(1889~1920任期)

※役場横~

港への路地~

※小柴邦太郎翁功績碑
森下 元晴(もりした もとはる、1922年4月12日 - 2014年3月11日)は、
日本の政治家。自由民主党衆議院議員。
徳島県海部郡海陽町出身。実家は先祖代々の林業家であり、
自身も林業経営に携わった。
東京高等農林学校(現東京農工大学)卒業。
1963年の衆院選に旧徳島県全県区から出馬し初当選
(当選同期に小渕恵三・橋本龍太郎・小宮山重四郎・伊東正義・
田中六助・渡辺美智雄・佐藤孝行・藤尾正行・中川一郎・三原朝雄・
鯨岡兵輔・西岡武夫・奥野誠亮など)。通算当選回数8回。
自民党内では河野一郎→中曽根康弘派に属し、
1981年に発足した鈴木善幸改造内閣に厚生大臣として初入閣。
その後は自民党国会対策委員長、中曽根派事務総長などを務めた。
1990年に政界引退。政界引退後の2008年には、
『杜のいのち、自然の摂理を(多くの人たちに)知って欲しい』という
願いから森下家が所有していた森林を徳島県に寄付した。
2014年3月11日、老衰のため死去。
91歳没。没後、従七位から従三位に進階追叙された。
(Wikipediaより)


南海地震津波最高潮位TP+4.52m

※地震が来たら津波も来るを
肝に銘じて!!

こちら側は堤防が低い~

※商店ですかね?

満徳寺如来塔
多くの石仏が覗いています~

※境内の目立つ
三本のクロマツ

新四国曼荼羅霊場(しんしこくまんだられいじょう)は、
徳島県・香川県・愛媛県・高知県にある7つの神社と81の寺院による
88ヶ所の神仏合体の霊場のことである。
1989年(平成元年)に四国の寺院・神社が集まり開創された。
霊場寺院は5つの部会に分かれており、
第1番~第6番および第71番~第88番が徳島部会、第7番~第24番が香川部会、
第25番~第54番が愛媛部会、第55番~第60番が高知部会、
第61番~70番が中央部会となっている。
当霊場会では神仏の力を結集して曼荼羅の世界を作り上げたとしている。
霊場は5部の道場で構成されており、
地(知恵)・火(愛情)・水(和合)・風(創造)・空(歓喜)の
道場すべてを巡ることで曼荼羅の力を得ることが出来るとされる。
霊場会の最終目標は、曼荼羅の思想が全世界に広がることで
生物の力が結集し世界平和に貢献する、ということにある。
(Wikipediaより)
85番満徳寺さん

※西向き道路

築地路地

※こちらの路地も
筋が通っています~

下ミセ・格子戸
手摺は無い

※雨切瓦は見られない~

二階手摺有りました!
柄入り硝子も~



先には~



立派な御家!

※本瓦・手摺・ミセ・格子~
揃っています。

飾り瓦に懸魚も~

※三毛ニャンコも~

ミセですね。
オバちゃん達の
憩いの場所?

※クーラー室外機
青色ホース
ポストが無ければ時代が分からない…

千本格子も
飾り付きの明り取りも
お洒落に!

反対側から~

※近くの御家も
エエなぁ~~

懸魚はないですが
シンプルに綺麗!


※本瓦・ミセ・格子
鏡遊びも~

醤油瓶?
飴色の釉薬
何焼きでしょうか??

※上下ミセ

街区が大きく~

※路地も魅力的

先へ~
土蔵の懸魚は鏝飾り

※此処にも
築地路地~

土蔵と築地のニラメッコ

※見返って~

店かな?



突き当りは海です。

※見返って~

牟岐浦西側
東の町は
東西を河川に挟まれて~



あのハサミは
自家製ワカメ用?

※下ミセ

大きな白壁土蔵
汚れ方見れば、
雨切瓦が有ってもよいかと~



あそこにも大きな土蔵

※築地は?

法覚寺さん

※綺麗ですね~


千本格子

※海への道路

境内も~

※手摺・ミセ

東の町より
二階の軒が高い



東方向は
満徳寺さんのクロマツが
ランドマーク

※西方向~

中二階建て

※此処にも津波標

あれは~
四角の井戸?
御旅所では無いですよね。
手前の丸いのが井戸?
マンホール?

西念寺さん脇

※多くの墓標

1階手摺



海を背にした道路

※防波堤が造られて~

左の段が
昔の堤防~

※この凹みに
板を立てて防潮堤

見返って
北側~

※西側~

海辺に近い場所に
牟岐津神社サン
鳥居の補強は地震時ですかね~

※扁額

名前に比べて
案外狭い境内

※小さい百度石

私が初見かもしれない
意匠の狛犬


※吽

尻尾は扇形

※文化期銘の狛犬台座

手水鉢

※本殿舎彫刻

裏から~

※脇の蟇股

本殿舎脇に

※正面から
境内摂社

 片側のみ狛犬


消防団倉庫?

※はっぴ
はちまき
たすき

ウエットスーツ干してます
何が取れたんでしょうか?

※突き当りは堂々と~

海側には~

※煉瓦煙突
何用でしょうか?

焚口は蓋がされていました。



三本クロマツ
配置は是位離れています。

※空き地の元は?

内港風景


やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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