古/いにしえの面影       其の一阡参百六拾三
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年03月25日 土曜日
アップ日  2018年03月08日 木曜日
奈良県奈良市公家茶屋(市庭古墳)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

平城京近くの常福寺
平城天皇陵南側の集落

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

平城京跡
ハイキングコースなんですね。

※埋蔵文化財
風致景観地区

集落の向こうに見える小山は
平城天皇楊梅陵(市庭古墳)
市庭古墳(いちにわこふん)は、奈良県奈良市佐紀町塚本・市庭にある古墳。形状は前方後円墳。
佐紀盾列古墳群を構成する古墳の1つ。
実際の被葬者は明らかでないが、宮内庁により「楊梅陵(やまもものみささぎ)」として
第51代平城天皇の陵に治定されている。
佐紀盾列古墳群の東群に属し、その中でも西端に位置する。
前方後円墳であるが前方部は消滅し、現在残っているのは後円部の一部のみである。
(中略)平城京の建設以前から存在した市庭古墳が、平安時代の人物
(ただし天皇であるため単に人ではなく現人神)である
平城天皇のために造られた古墳でないことは明らかで陵墓の治定に否定的な意見が多い。
現在の治定が正しいとするなら、
平城天皇には新たな陵墓が造られず既存の古墳に追墓されたことになる。
(Wikipediaより)    

 
※開発ダメよ地区

東向けば若草山

※エエなぁ~
憧れますわ!

現在の地番で行けば佐紀町
古墳の周りに~

※農家の面持ち

お花が添えられて~日常の祀り
多宝塔頭と地蔵尊、自然石は?



トタン被せですが
煙抜き付大和棟家屋

※横から~

西へ~

※屋門が遠い~

車止めも~

※宮内庁管轄なんでしょうね。
平城天皇(へいぜいてんのう、
宝亀5年旧8月15日(774年9月25日) - 弘仁15年旧7月7日(824年8月5日))は
第51代天皇(在位:延暦25年旧3月17日(806年4月9日) - 大同4年旧4月1日(809年5月18日))。
小殿(おて)親王、後に安殿親王(あてのみこ)。大同4年(809年)4月1日、
病気のため在位僅か3年で皇太弟の神野親王(嵯峨天皇)に譲位して上皇となり、
嵯峨天皇は平城天皇の子の高岳親王を皇太子に立てた。
同年12月、平城上皇は旧都である平城京に移り住んだ。
(Wikipediaより)


車止めも宮内庁?



歌姫街道沿いに祀られてます。

※町内安全
燈籠

愛宕山大権現
愛宕権現(あたごごんげん)は愛宕山の山岳信仰と修験道が融合した
神仏習合の神号であり、イザナミを垂迹神として地蔵菩薩を本地仏とする。
神仏分離・廃仏毀釈が行われる以前は、
愛宕山白雲寺から勧請されて全国の愛宕社で祀られた。
愛宕修験によって、愛宕山白雲寺の本尊の勝軍地蔵が愛宕山に垂迹した
権現としてイザナミが祀られた。
地蔵信仰だけでなく、塞神信仰や天狗信仰も混在した。
(Wikipediaより)


※多宝塔
寺院跡でしょうか?
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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