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ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや! (by UFO先生)
海部城(かいふじょう)は、徳島県海部郡海陽町にあった日本の城。別名は鞆城。
永禄年間(1558年 - 1570年)に海部友光によって築かれたとされる。
元亀2年(1571年)、長宗我部元親の弟である島親益の船が
突風を避けるために海部城下の入江に入った。
その為、当時の海部城主であった海部友光は親益の船を襲って親益を殺してしまう。
1575年長宗我部元親が陸路侵入。
瓦を使っていた県内三城の内の一つ、「海部城」が落城した。
城主が姻族の加勢のため讃岐に出征中で、戦力不在のため、無血開城だった。
木材の集散や海路の監視所として、海部川河口の「城山」は古くから重要拠点だった。
城山は、かつては周囲を海部川が巡り、海に臨む「島」だった。
戦後に埋め立て造成が進んだ。
江戸時代に入ると、蜂須賀家政が阿波国の領主となり、阿波九城となったが、
一国一城令により寛永15年(1638年)廃城となる。
その後は海部郡の代役所が置かれ、文化4年(1807年)に日和佐町に移されるまで繁栄した。
(Wikipediaより)
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