古/いにしえの面影       其の一阡参百四拾九
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年03月01日 水曜日
アップ日  2017年04月07日 金曜日
徳島県海部郡海陽町鞆浦(法華寺)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

1445年当時は、海陽町から神戸まで、盛んに船が往来していた。
積荷は木材である。なぜこのような遠い所から京都まで、
木材のような大きな物を運んだのだろうか。
それは、日本では、室町中期まで植林が行われず、浪費するばかりで、
木がなくなってしまったことによる。
南北朝の動乱で、京都・畿内近国は戦場と化し、森林資源の浪費に拍車をかけた。
京都五山の造営が始まった頃には、畿内の森林は伐り尽くされ、
用材は遠隔地の山奥へと求められた。
しかし、大木があるだけでは伐り出しても運べない。
海に近いか、いかだ流しができる大河川の流域沿いであることが必須である。
その結果、東山道の美濃・飛騨と、南海道の阿波・土佐が選ばれた。
「兵庫北関入船納帳」によれば、
由良(淡路島)1万1640石、海部(阿波)9450石
宍喰(阿波)2460石、平島(阿波)1865石
牟岐(阿波)1690石、橘(阿波)430石
由良の木材も、他の史料で、阿波方面の物資を扱っていたことがわかっているので、阿波産であろう。
室町中期の阿波は、年間2万8千石以上の木材を畿内地方に搬出していた。
そして、海部と宍喰、つまり現海陽町だけで、
1445年、兵庫北関通過の阿波産木材の約半数になるのである。
しかし、南国の木材は成長が早いために、木質が粗く、珍重されたのは木曾材だった。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

 宍喰大橋

※大橋上から~
宍喰漁港方面~

宍喰の町
津波避難タワーが目立ちます。
足りますかね?

※あの半島の向こうには
海部が~

何見てる?

※サーフィンポイントなんですわ。
沖の黒い粒は波待ちサーファー

 R55を北進し
那佐湾二子島横目に~

※新しい家屋群
の向こうに海部城阯


元は掘割
向こうの町並み(奥浦)は後程…

※現状は入江なんですが~

徳島県森林開発の大先覚者
森本元太郎翁之碑

※頌徳碑
昭和36年銘
 
これは?



堀川沿いを海へ~

※左の森は城跡

入江の南側
鞆浦側
石垣が目に入ります。

※イシグロ?

T字型路

※気分で右へ~

鞆奥漁港南側岸壁

※見返って~
入江(堀)風景

港の出入り口方向~

※ 入江の南側
鞆浦側
橋の上から~

奥へ~

※地図で見ると
『日』字型路地~

平日なので
人影は少なく…

※字名でも大岩
自動車の比べても大きい!

鞆浦大岩宝永碑
宝永地震(ほうえいじしん)は、江戸時代の宝永4年10月4日(1707年10月28日)、
東海道沖から南海道沖(北緯33.2度、東経135.9度 )を震源域として発生した巨大地震。
南海トラフのほぼ全域にわたってプレート間の断層破壊が発生したと推定され、
記録に残る日本最大級の地震とされている。
世にいう宝永の大地震(ほうえいのおおじしん)、亥の大変(いのたいへん)とも呼ばれる。
地震の49日後に起きた宝永大噴火は亥の砂降り(いのすなふり)と呼ばれる。
南海トラフ沿いが震源域と考えられている巨大地震として、江戸時代には宝永地震のほか、
慶長9年(1605年)の慶長地震、嘉永7年(1854年)の
安政東海地震および安政南海地震が知られている。
また、宝永地震の4年前(1703年)には元号を「宝永」へと改元するに至らしめた
相模トラフ巨大地震の一つである元禄地震が発生している。

慶長地震(けいちょうじしん)は、
江戸時代初期の1605年2月3日(慶長9年12月16日)に起こった地震である。
震源については諸説があり、南海沖(南海トラフ)単独地震説と
南海沖と房総沖の連動地震説、遠地地震説など。
津波被害による溺死者は約5,000人(1万人という説もある)だが、
地震による陸地の揺れが小さいのが特徴である。
また震源や被害規模も不明な点が多い。
以上のことから津波を想起させる大きな地震動が発生しない津波地震であったとされ、
同様の地震が将来発生した場合に避難が遅れ大きな被害が出る可能性があり問題となっている。


※気合を入れてハイポーズ!

 備えよ常に!

漁師町の面持ち~

※漁港は、すぐ裏です~

鏡遊びして~



見通しは効かないような
昔からの街つくり

※元は砂浜だったんでしょうか?

路地にも~

※ワイワイと
子供の声が~

手摺付家屋風景~
大好きです!

※『日』字型路地に~

あの階段が津波避難路?

※昔の街道~

私の大好きな風景~



此処にも石塀

※突き当りに地蔵様
仲町辺

今では時間が止まったような静かな漁村路地なんですが~
家の表構えに、「うわみせ」「したみせ」といわれる
折りたたみ式の縁台が有る街並みです。

※「したみせ」
他の地区では
バッタリなんて呼ばれていますが~

格子にも意匠が~

※街道風景も~

「したみせ」が~

※手摺付き家屋は
御老人が居る証拠
生きてる路地です。

高知県と比べたら
二階部は背の高い家屋
台風被害がマシなんでしょうか?

※路地風景~
空き地がねぇ

木造倉庫ですかね。

※路地風景
ペンキ壁には昔の隣家の名残が~
トマソン?

本瓦家屋が~

※奥に続いています~

「したみせ」

※奥の路地へ~

突き当りには
寺院が~

※寺内町ですかね?

 石段より見返って~

※「うわみせ」「したみせ」

路地の先は山際に…

※気を取り直して~

色んな時代の地蔵様

※見返って~

山門扁額

※本堂~
後ろの山は急傾斜地対策済

文化期の 髭題目

立派な本堂~

※破風も立派!

日蓮宗
井桁に橘の寺紋
木彫が立派!



 懸魚は鳳凰

※龍も生き生きと~

念ずれば花開く碑

※手水舎

山門

※少し上から~

オバちゃんに
声掛けて頂いて~

※おばちゃんに聞けば、縁台は店ではなく、
家の中は狭く暗いので漁具など修理の作業場と御近所との交流の場所だったと~
今では、若い人たちは高台移転で少し離れた場所に移って、
子供の声が聞こえなくなったと寂しそうでした…

チーチーとメジロが~

※徳島市内の寺社仏閣を長宗我部氏が打ち壊した時に
此の地まで流れ着いた仏像が祀られているとか~
有名な寺院で、広島県から同名に御住まいの方が参られたことも有るとか~
おばちゃんにヨーグルトドリンク頂いて飲みながら、
梅の木に来るメジロを見ながら座って話を伺いました~

木造倉庫

※港から東へ~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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