古/いにしえの面影       其の一阡参百参拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年02月28日 火曜日
アップ日  2017年03月24日 金曜日
高知県安芸郡奈半利町Ⅱ(奈半利港)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

田野町の起源は、古代は那波郷に属していましたが、
鎌倉時代の初め高田法橋が高田山に来着し、
奈半利川の治水に努め、田野郷を墾いたと伝えられています。
中世期には、地頭の大野豊前守が、戦国の世は媛倉右ヱ門が治め、
藩政時代には、甲浦代官の知行所となりました。
当時代中期より資本主義経済が台頭し、田野五人衆、
又は七人衆と称する藩の御用商人が、奥地の山林資源の開発により富強となり、
田野千軒が浦として繁栄しました。
幕末の嘉永6年(1853年)に安芸郡奉行所が岡地に設置されるとともに、
藩校田野学館が併設されて安芸郡における政治経済文化の中心地として栄えました。
明治維新後区制が敷かれ、明治21年(1888年)郡区、
町村制法により田野村として発足し、大正9年(1920年)には町制を敷いて、
田野町に改称し現在に至っています。
四国で一番小さな田園の町が田野町です。
(田野町HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

国道渡って、
高田屋さん横を南へ~



新しい家も見られます。

※おお~!
雨切付土蔵改造した薬局
良いですね~

 北側路地は~

土佐漆喰に石塀
綺麗に~

※軒下は落書き?
黒漆が薄くなったんでしょうか?

土蔵の薬局
(東山家住宅)
明治後期の建物

 向こうが母屋?

※格子窓
虫籠窓に硝子が嵌って…
お洒落ですね!

どちらへ行こうか?

※左へ~
声も出ません…
凄いなぁ~
浜田家住宅

隣にチェリーバネット
懐かしいなぁ~
(私らは丸目のデリカでしたが…)

※6段雨切
腰下は海鼠壁
源平合戦の鎧のように~

母屋玄関
懸魚も~

※厠でしょうか?
懸魚も~

窓に意匠~

※職人のニヤリ!

絵になりますね~

※昭和9年築
我が母と同じ年(汗)

鯱鉾が乗った玄関
重厚ですね。

※何?
馬繋??

ブロック塀は
煉瓦だったんですね。

※名残が~

 破風付母屋



庄屋さんで、
米預かり蔵だったとか~

※違い丁子紋

北に向かって~

※瓦築地が~

正覚寺さん
南側の石垣~

※丸石を
から積みにしたもの

境内に~
何?と思えば
平成の黄金の鈴堂とか
左は大師を祭る本堂

※鐘楼も~

山内一豊のお国入りの際の寝所とか。

※石材でしょうね~
これを積んで石塀に~
大変ですね。。。

南側の石垣
東側

※西側

鐘楼を脇から

※潮の香りが~

コバルトブルーの太平洋が自慢の一つ!
もう少し暖かくなればノンビリと
浜で座ってもいいなぁと~

※堤防の向こうは~
亜米利加!

石材は沢山ありそう~

※堤防内側に奈半利港
高知県東部に位置する奈半利港は、掘込式の港で奈半利川河口左岸にあり、
紀貫之の「土佐日記」に“なはのとまり”と記されるなど歴史がある。
1948(昭和23)年に指定港湾に編入され、1953(昭和28)年に現在の場所で着工された。
(Wikipediaより)


港は大きく二つのブロックに分かれていて
一番奥に近海漁の小型船が~

※大型の船

私の好きな漫画家
故 青柳裕介さんの
土佐の一本釣りの鰹船



こちらは
まぐろ土佐船 の
鮪船!?

※南緯45度線越えての操業~
お疲れ様!気をつけて!!

こちらは釣り筏~
色んな船が~

津波避難ビル

※羽根岬
まだまだ室戸は遠く~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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