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ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや! (by UFO先生)
天保5年(1834)12月11日、安芸郡井ノ口村に生まれる。
安政元(1854)年、大志を抱いて江戸に出、昌平黌の教授であった安積艮斎の門下に入り、教えを受ける。
その2年後、父親が重傷を負う事件があり、帰郷。
その際藩の役人と争い投獄され、翌年出獄、追放処分となる。
この頃吉田東洋と出会い、それを機に新たに飛躍の道を開いた。
東洋の死後は、後藤象二郎に登用され、藩の開成館や土佐商会でその手腕を発揮する。
明治3(1870)年開成館大阪商会が設立され、弥太郎が経営にあたる。
1ヶ月後、名称を九十九商会と改称。
翌4年の廃藩置県に伴い、土佐藩所有の船舶の払い下げを受け、同5年、三ツ川商会と改名。
同6年に三菱商会と改名、三菱グループ発展の基礎を作った。
弥太郎は三菱の創始者をして知られ幕末のイメージが薄いかもしれないが、
実は海援隊の会計を担当していた経緯があり、坂本龍馬とも縁が深い。
(安芸市HPより)
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
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