古/いにしえの面影       其の一阡参百八
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年02月26日 土曜日
アップ日  2017年03月10日 金曜日
徳島県美馬市穴吹町(八幡神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

穴吹町(あなぶきちょう)は、徳島県にあった町である。
郵便番号の頭が777から始まる全国でただ一つの町であった。
2005年3月1日、美馬町、脇町、木屋平村と合併して美馬市となった。
かつての町域は現在の美馬市穴吹町三島・穴吹町穴吹・穴吹町口山・穴吹町古宮。
(Wikipediaより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

穴吹川(あなぶきがわ)は、
徳島県美馬市を流れる吉野川水系の河川(一級河川)。
四国のみずべ八十八カ所、とくしま水紀行50選選定。
剣山に源を発して美馬市山間部の木屋平地区を北流し、
穴吹地区で吉野川中流に合流する流程約41kmの河川。
流域人口は推定約8千人。比較的小規模な川だが、
吉野川の支流として一級河川の扱いをうけている。
水質は良好で国土交通省四国地方整備局の一級河川水質調査により
「四国一きれいな川」であると認定を受けている。
天然の川魚が生息し、天然ものの鮎も吉野川から遡上する。
徳島市などの都市からのアクセスも良好であるため
夏場は多くの観光客でにぎわい、お盆の時期には
川全体で1万人の人出で埋め尽くされたこともある。
また、日産自動車や伊藤園のテレビCMのロケ地に選ばれたことがある。
(Wikipediaより)


上流部には
大蛇騒動で有名になった
剪宇(きりう)峠方面へ~

※下流部は四国吉野川へ~
いずれも河川改修中でした。

 楠ノ本の八幡神社サン
一の鳥居

※扁額
正八幡宮

皇紀2600年
八紘一宇聖戦記念

※扁額
郷社 八幡神社

八紘一宇(はっこういちう)とは、
『日本書紀』巻第三神武天皇の条に書かれた
「掩八紘而爲宇」の文言を戦前の大正期に
日蓮主義者の田中智學が国体研究に際して使用し、縮約した語。
八紘為宇(はっこういう)ともいう。
大意は「天地四方八方の果てにいたるまで、この地球上に生存する全ての民族が、
あたかも一軒の家に住むように仲良く暮らすこと」という意味である 。
(Wikipediaより)

※皇紀2600年
1940年(昭和15年)

鯱鉾の乗った燈籠



狛犬


※吽

阿の顔が可愛い~


手水舎

 拝殿舎正面

※此処にも
神の名入り石柱

本殿舎

※裏から~

境内風景

※境内摂社も~

境内摂社Ⅱ~

※玉垣補修中~

丸ポストではなくて
小型キューブ

※剣山方面に続くR492

昭和的な集落

※手摺付家屋

穴吹スポーツセンター
横目に~

※トタン被せ家屋に目が行きます。
本瓦ヤシ~

国道沿いの長屋風家屋



路地へ~



本瓦土蔵と母屋
大好きです!

※石標~

奉供養光明真言二百万遍諸願成就碑



庚申塔

※本瓦土蔵

エエなぁ~



飾り瓦が夕日に映えて…

※本瓦に鳥衾も~

国道沿い家屋を裏から~



こちらが旧のメインの通り

※トタン被せ家屋
二軒並び

雨剣山大権現(雨乞い祈願?)
天照皇太神宮
隣は御大師様
奥は庚申塔
信仰の塊ですね。

※附近路地

おっ!盃状穴が~

※まださん如何?

此処は二個

※あの高台の建物は?
油屋美馬館~ホテルですか。

手摺家屋



夕日に向かって~

※水運が盛んだった頃を想いながら~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
ページトップへ戻る

Copyright c 2003 Office Young Moon. All Rights Reserved.