古/いにしえの面影       其の一阡参百八拾
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2016年10月30日 日曜日
アップ日  2019年03月08日 金曜日
兵庫県美方郡香美町余部(御崎の平家伝説)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。
驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。」
「平家物語」は誰もが知っているこの有名な文句で始まり、平家一門の公達や武者たちが、
壇ノ浦の戦いで力尽き、あるいは源氏に生け捕られるなどし、
栄華を極めた平家の悲しい末路が描かれています。
物語中では命を絶ったとされる平家の武将たちが、落ち延びて
人里離れた山間の僻地や孤島で細々と暮らしていたといわれる
平家落人伝説の残る集落は全国各地にあります。

香美町香住区にも平家伝承の地が5ヶ所あり、中でも香住区余部の御崎地区は、
壇ノ浦の戦いで敗れた門脇宰相平中納言教盛
(かどわきさいしょうへいちゅうなごんのりもり=平教盛、平清盛の異母弟)を大将とし、
伊賀平内左衛門家長、矢引六郎右衛門らが同じ船に乗り込み、遠く壱岐、対馬方面に逃れようとしたところ、
日本海を漂流し香住の近くに流れ着き、磯づたいに御崎まで落ち延び、土着したといわれています。
当地にはそれを裏付けるかのように門脇家、矢引家が現存しここで生活されています。
(香美町HPより)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

餘部より
海岸線沿いを北へ~

※アワビサザエ密漁しないでね看板!

曲がりくねった道の先に~

※御崎集落が有ります。

平家伝説
手書き看板

※矢引俊龍和尚誕生の地

平家村
史跡 御崎碑

※見上げたら~

仁王門みたいな樹木



平内神社へ~

※日本海望む吊るし柿
美味しいでしょうね!

登って行きます。

見返って~



キツイ傾斜道



背高燈籠
参道ですね。

※遠く丹後半島の向こうに
北陸白山も望めるとか~

うっすらと丹後半島~



コスモス咲いて~

小さな祠と~

※墓碑と思えば
上水道施設記念碑

本部落は北海に面する山岳に位置し…
延長2780m,総工費253万円,昭和45年6月

※多宝塔が朽ちて…

御崎にはこの地にしか育たないといわれる「平家蕪(へいけかぶら)」という蕪が自生しています。
平家がこの地に身を寄せた際、土地がやせた人里離れた場所であったため、たちまち食料に窮してしまい、
神に祈願したところこの蕪に恵まれるようになったといわれます。
春には菜の花に似た黄色い花を咲かせ、現在でも一部の家庭では漬物にして食されています。
そして現在も伝承されている平家にまつわる行事の一つ、「百手(ももて)の儀式」が
毎年1月28日(午後3時半頃から)に行われています。
氏神の平内神社で、門脇、伊賀、矢引の武将にふんした3人の少年が、
境内の御神木に源氏に見立て掲げた的めがけて、
地区内で採取した竹で作った弓矢で101本の矢を射るもので、
歩射という弓の神事から始められたといわれています。
平家の無念を晴らすとともに、士気を鼓舞し
平家再興を夢見て受け継がれてきた伝統行事です。
(香美町HPより)

※梅林?

社杜の中に~

※平内神社サンが有ります。

境内風景

※御崎復興記念碑

大正15年12月銘



本殿舎

※脇の祠
境内摂社

出雲型狛犬


※吽

ごめんやて~
ゆるしてーな

※私、初めから知らんて言うたやん!

なんて~笑

土俵ですね。

※大きな銀杏に目が行きます。

乳房のような~

※アチコチニ~

此処にも祠

※本殿舎は覆い屋の中

何か由来の有りそうな~
磐座ですかね?




大きな銀杏に守られて~



落人達は遠く京都を
望んだんでしょうか?



海まで真っ直ぐに~

※消防倉庫

森本家の由来碑



段々家屋



集落の駐車場



厳しい自然が思われます。

※48記念碑?
江戸期

ピチュウ~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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