古/いにしえの面影       其の一阡参百参拾九
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年03月01日 水曜日
アップ日  2017年03月31日 金曜日
高知県室戸市脇地・元(土佐東街道)
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

元川に掛かる
元大橋



ウミガメとの語らい像

※古来よりウミガメは海神の使いとして
大切にされてきたと~

河口から海辺への路

※四国のみち碑

脇に26番霊場(金剛頂寺)道標~

※室津石工 栄太郎刻

前のページの女人結界石が
寺領結界ですかね?

※遍路道はこちら~

尾張国名古屋市塩町四丁目
伊藤萬蔵銘
天保四年正月、尾領国平島村(現一宮市丹陽町平島)に於いて、
農業治左衛門・りかの長男として生まれた。
少年時代、名古屋城下の米穀商に丁稚奉公に出された。
生来の努力家、若くして独立して店を持った。
世状も又、三百余年続いた幕藩体制が崩壊して、
明治新政府に移行する激動の時代、
商才に富んだ万蔵はこの機会を逃す事なく、時流にも乗った。
延米・仲買・株取引・金融・貸家業と串広く商売の手を広げ、
巨万の財力を得た。萬哉はこれを私する事なく、
これは「神仏や世間様のお陰」として、全国の有名社寺に対して石造物の寄進を続け、感謝の日々を送った。
その数は千基ともいわれているが、私が調査確認をしたものは426件であった。
(中略)
萬蔵は昭和2年1月28日午前5時、九十五才の生涯を閉じた。
当時の新聞は一市民の死亡を、異例とも思える取りげ方をしている。
いわく積善の人・生活に感謝し神仏えの
信仰に生きた人・立志伝中の人・意志堅固にして自信家であった等々、
その奇人振りに併せて報道をしている。
戒名は「寿照院観空徳山居士」、名古屋市昭和区の八事誓願寺に眠っている。
(田野尻弘 氏の個人誌「萬蔵報」2005年2月号より)

凄いなぁ~伊藤さんも田野さんも頭が下がります。

向こうの山かなと現地で思いましたが~
もっと左奥でした。。。

※大家食堂
コナレたペンキ文字



※土佐東街道~

山に逃げましょう!と



元小学校
元は地名で現役です~
後ろの山の向こうが26番霊場

※前で休憩できますね~

山が迫ってきました。

※街道が少し高台に成ってます。

脇地集会所



元簡易郵便局
丸ポストも~

※R55も海岸脇に~

開いてます!

※ 集落の外れに
縄製の結界

呪いですかね。

脇道~



室戸市消防団元分団

※ウミガメ像に~
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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