古/いにしえの面影       其の一阡参百弐拾六
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年02月28日 火曜日
アップ日  2017年03月22日 水曜日
高知県安芸郡安田町安田Ⅰ(正八幡宮)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

安田八幡宮  国登録有形文化財
玉垣 藩政期築:石造
創建は安田領主安田三河守と伝えられ、鎌倉時代に安田に移住した、
惟宗氏が安田を領有し、安田の地名から安田氏を名乗り、
領地の鎮守として安田八幡宮を造営しました。
八幡宮は安田家代々の鎮守として特に信仰が厚く、
度々神殿の新築や改築を行い、社領を寄進しました。
足伴津彦命、気長足姫命、応神天皇を祭神としていて、
昔から安田・西島・唐浜・東島・中山・馬路の総鎮守として崇敬されてきました。
参道の玉垣を構成する石柱には八幡宮に信仰を寄せる寄進者の名や、
天明(1815)年、天保(1843)年、嘉永元(1848)年などの寄進年月、
山形屋、久保屋、松屋、加茂屋、福枡屋、北方屋、浦吉屋などの屋号の彫られた
石柱が並んで、廻船や林業がもたらせた安田の繁栄ぶりが偲ばれます。
(看板より)


(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

安田町役場
桜はきれいでしょうね~

※脇の庭園

役所前の八幡宮サン
この参道玉垣が国登録有形文化財
へぇ~

※拝殿舎正面

手水舎

※拝殿舎

扁額
正八幡宮

※脇の手水鉢

本殿舎の彫り物



龍の彫り物

※生き生きと~

百度石

本殿舎と脇の境内摂社

※鯛の彫り物
恵比須さん?

正面より



狛犬


※吽

参道脇の狛犬


※吽
盃状穴は見られない~

石灯籠と玉垣

※自然石に
明治40年刻
何でしょうか?

高松順蔵低跡
高松家はかつては安芸郡では安田、東島、
香我美郡は西川、東川、そして長岡郡の入野、土佐郡の梶谷など
15石6斗9升の領知をもった郷士邸の面影を残している。
龍馬の長姉千鶴は、この家の12代目順蔵のもとに嫁ぎ、2男1女をもうけた。
明治となって龍馬のあと目を継ぎ、坂本直と改名した高松太郎、
そして兄権平の養子となった坂本直寛の母だ。
龍馬も時々この邸を訪れたようだ。
のんびりと縁側から見える太平洋を眺めたこともあっただろう。
「丁度私がお国にて安田順蔵さんの家に居るような心持にており候事に候」と
寺田屋での生活を姉乙女やおやべに知らせた手紙もある。
安政の頃千鶴から龍馬にお守りを送った手紙もあり、姉思いの、
また弟思いの姉弟の間が知れてほほえましい。
順蔵は高松小埜とも号し、居合術の達人で、歌や絵もたしなみ、
多くの文人、学者との交わりもあったようだ。
天誅組の安岡斧太郎や、海援隊の石田英吉、そして中岡慎太郎らもこの門を叩いた。
たびたびこの邸を訪れた龍馬もまた順蔵からの感化が大きかったではなかろうか。
長男高松太郎は叔父龍馬と共に海援隊士として活躍し、
龍馬の死後は坂本家の養子となり、龍馬の遺志を継ぎ、弟直寛と共に北海道の開拓に尽力した。
(高知県立坂本龍馬記念館HPより)


※八幡宮サンより
西側なんですね。




蔦が絡まっていますが~
雨切土蔵

※西町方面

西町~本町の町並み



この燈籠は?

馬路路沿いの
南酒造サン

※玉ノ井・南が商品名

南酒造裏に~

※雨切も~

先は下水工事中で通行止め



乗光寺さん



 此処にも燈籠

※廻船と林業で賑わったとか~

商家と土蔵



県道拡幅で3m程
移動させたとか~



腰下は板製ですが~

※元タバコ屋サン

神社が~
出雲型狛犬も見えます。



雨切家屋

※馬地道と安田川との狭間の地区

安田川~
先は海

※元 商家を川側から~

浜の 丸石土塀

※川沿いの路地

 この辺りで高瀬舟から廻船に積荷を載せ替えた~
雁木が残っているかと思ったのですが~
海側

※馬路側
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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