古/いにしえの面影       其の一阡参百壱拾六
怪しい親爺輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)

撮影日  2017年02月27日 月曜日
アップ日  2017年03月16日 木曜日
高知県香南市香我美町岸本(飛鳥神社)

ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや!(by UFO先生)

かつて、後免町 - 安芸間には1930年に全通した土佐電気鉄道(現在のとさでん交通)
安芸線が営業していたが、1970年代に入ってからは貨物輸送の廃止や旅客収入の減少による
赤字の増大が顕著になっていた。
そこで、江若鉄道の例を参考に、日本国有鉄道(国鉄)阿佐線の建設を促進するという名目で、
用地売却によって赤字を解消するために1974年(昭和49年)3月末に廃止された。
阿佐線そのものは、「四国循環鉄道構想」のもとに1965年(昭和40年)3月から
安芸 - 田野間が国鉄新線として着工。
土佐電気鉄道安芸線廃止後の1974年(昭和49年)4月からは、
後免 - 安芸間でも高架橋の工事などが行われていたが、
1981年(昭和56年)12月、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の施行に伴い、
建設線であった阿佐(西)線も工事が凍結された。
この時点で全長のうち18.9km(約44%)が完成していたが、
長期間にわたって建設途中の高架橋や盛土が放置されたままになった。
この様子から土佐の「万里の長城」、もしくは土佐の「バベルの塔」とも言われた。
その後1986年(昭和61年)5月、高知県を主体に土佐くろしお鉄道株式会社が設立され、
同じく建設線であった宿毛線とともに引き継がれることとなり、
1987年(昭和63年)1月に同社が後免 - 奈半利間の第一種鉄道事業免許を取得、
同年3月から7年ぶりに工事が再開された。
同社は、当面、宿毛線の建設と特定地方交通線に指定された中村線の維持に力を注いだため、
阿佐(西)線の建設は後回しとなったが、2002年(平成14年)7月1日、
日本鉄道建設公団建設線最後のAB線として、
工事着工から37年目(安芸線廃止後28年目)にしてようやく開業した。
(Wikipediaより)


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飛鳥神社正面

※扁額

 狛犬


※百度石
横は…力石では??
高島先生に聞いてみよう~


安政期のもの

※此処にも舟形
手水鉢

キョロ目の狛犬


※吽

若一王子権現
飛鳥大明神

※江戸期の燈籠~


こんな感じの撫石です。

※奉納石柱~

石といえばもう一つ

※安政地震の碑
安政元年に大きな地震が有り潮が20mも引いた手結港でウナギを沢山獲った。
その翌日に大地震が有り、家も塀も倒れ何日も徳王子の山で暮らした。(高台非難ですね)
・大阪ドーム横の千日前通りに掛る大正橋東詰めに有る
大地震両川口慰霊碑を想いながら~

災害は忘れたころにやってくる…肝に銘じます。


碑文に墨を入れたら
読みやすいんですが~

※草書は辛いか~~
耳なし芳一状態。。。

笠部分の意匠が~

※金毘羅大権現
飛鳥大明神銘

拝殿舎

※本殿舎の脇に
押し込められたように
石燈籠と石碑は有ります。

本殿舎覆屋

※見返って境内風景

ゴトゴト~
バス?と思えば
ゴメン・ナハリ線

※海沿いなんですわ~
赤岡側の津波避難タワー
ひときわ高く(当たり前ですね)
この地のランドマーク!

本町商店街の延長道(旧国道?)を
東方面へ~
綺麗な雨切家屋

※そうか~
軒下は風を受けたら
屋根は飛んでしまいますよね。

近づく毎に
家屋の魅力が見えます。

※雨戸が寂しいですがね。
こんな家屋に住んでみたいなぁ~

ポカーンとした
南国風景~



あの赤レンガは?

※手前の御家も気になって~
壁板が…
便所の明り取りの意匠が~

市立岸本小学校

※校門前に忠魂碑
陸軍大将 鈴木荘六書
鈴木 荘六(すずき そうろく、
元治2年2月19日(1865年3月16日)- 昭和15年(1940年)2月20日)は、
日本陸軍の軍人。陸軍大将正二位勲一等功二級。第4代帝国在郷軍人会長。
1894年(明治27年) - 日清戦争勃発により原隊復帰、第四師団付出征。
1920年(大正9年)11月 - 尼港事件の戦功により勲一等旭日大綬章、功二級金鵄勲章
第四師団長(大阪)を拝命。
1904年(明治37年) - 日露戦争で奥保鞏陸軍大将の第2軍参謀を務める。
1923年(大正12年)8月 - 台湾軍司令官
1924年(大正13年)8月 - 陸軍大将・朝鮮軍司令官
1930年(昭和5年) - 停年退役・枢密顧問官・勲一等旭日桐花大綬章
停年退役後は三条に帰郷し、北新保に居を構える。(旅館三観荘として現存)
帝国在郷軍人会会長、大日本武徳会会長を歴任
学校、神社など公共の建物のために扁額など多くの揮毫を残し、
知己の私的世話や郷土の三条、新潟県の公共事業の推進など寸暇を割いて尽力した。

日露戦争ですかね?

津波避難タワー
建物施設もありますね。

※岸本防災コミュニティセンター
成る程!
無事で使われない事を祈ります。

小学校統合問題が在るんですね。

※少子化ですか…

自衛隊施設
高知駐屯地

※教習コースですかね?

タクシー会社車庫も好きですよ!
前の¥100-野菜も~

※ヤマカ醤油
畠中醤油さん

地図上でも『くの字』に
道路が曲がっている地点

※前に月見山~

P-GOの
カビゴンの様な家屋

標高70m弱なので
時間が有れば
登るのですが~

※引き返します~

帰り道~



西方面へ~

※お家だったんでしょうね~
中庭だけ残されて~~

昔の赤岡商家(商人)の特徴
①間口を狭く、奥行きを深くする。漆喰壁で、水切りを数段つけた土蔵造り。
②格子戸、連子窓のついた表の間には商品を少ししか置かず、
家を明るくすると「銭が貯まらない」といって、部屋は真昼でも闇に閉ざしておく。
客が来ると奥の間に次々と案内し、天窓を開け、明るくして積み上げられた商品を見せる。
③土間の通路を奥に進むと趣味をこらした中庭の築山を隔てて客殿という一棟があり、
奥の土蔵の隣に厩(馬屋)が設けてある。
物部川に沿って奥深く阿波との国境近くから馬を曳いて買い物に来る客を泊めるためである。
④遠来の客を迎えると赤岡の浜でとれた新鮮な魚の皿鉢料理で歓迎の宴が行なわれる。
⑤翌日は馬に積みきれない程の商いを果たして客を見送る。
(高知県 塩の道HPより)
成る程~

※手摺付き虫籠風窓

築地が~

※異様なシルエットに
呼ばれて~

 海辺に歩道が有るので
遍路姿の方は見ませんでした~この日。。

廃仏毀釈で無くなった
寺院のものでしょうか?

※此処も井戸が残されて~

海方面~

※山方面~

雨切的には
小さな家屋

※お隣が無くなって
目に付きますね。


マンホール~

※アルミサッシよりも
屋根に目が入って~
便利ですもんね。

赤岡に帰ります。
ページ的には前後します。
やはり、持ってるものはUPして
資料的に残さねば…
気を抜いたらあきません~
何時のが出てくるか判りまへんで!
袖すり合うも他生の縁~
いつまで知った景色があるのやら。。

頑張ってボチボチ更新中…^^;
古の人の息吹を感じながら~
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