|
ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや! (by UFO先生)
かつて、後免町 - 安芸間には1930年に全通した土佐電気鉄道(現在のとさでん交通)
安芸線が営業していたが、1970年代に入ってからは貨物輸送の廃止や旅客収入の減少による
赤字の増大が顕著になっていた。
そこで、江若鉄道の例を参考に、日本国有鉄道(国鉄)阿佐線の建設を促進するという名目で、
用地売却によって赤字を解消するために1974年(昭和49年)3月末に廃止された。
阿佐線そのものは、「四国循環鉄道構想」のもとに1965年(昭和40年)3月から
安芸 - 田野間が国鉄新線として着工。
土佐電気鉄道安芸線廃止後の1974年(昭和49年)4月からは、
後免 - 安芸間でも高架橋の工事などが行われていたが、
1981年(昭和56年)12月、日本国有鉄道経営再建促進特別措置法(国鉄再建法)の施行に伴い、
建設線であった阿佐(西)線も工事が凍結された。
この時点で全長のうち18.9km(約44%)が完成していたが、
長期間にわたって建設途中の高架橋や盛土が放置されたままになった。
この様子から土佐の「万里の長城」、もしくは土佐の「バベルの塔」とも言われた。
その後1986年(昭和61年)5月、高知県を主体に土佐くろしお鉄道株式会社が設立され、
同じく建設線であった宿毛線とともに引き継がれることとなり、
1987年(昭和63年)1月に同社が後免 - 奈半利間の第一種鉄道事業免許を取得、
同年3月から7年ぶりに工事が再開された。
同社は、当面、宿毛線の建設と特定地方交通線に指定された中村線の維持に力を注いだため、
阿佐(西)線の建設は後回しとなったが、2002年(平成14年)7月1日、
日本鉄道建設公団建設線最後のAB線として、
工事着工から37年目(安芸線廃止後28年目)にしてようやく開業した。
(Wikipediaより)
(※=マウスポインターを画像上に置いて下さい)
|