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ワッカン~
資料として気になる街角
撮っておきや! (by UFO先生)
旧余部橋梁は1909年(明治42年)12月16日着工、1912年(明治45年)1月13日に完成し、同年3月1日に開通した。
全長310.59 m(橋台面間長309.42 m)、下を流れる長谷川の河床からレール面までの高さ 41.45 m,
総工費331,536円。11基の橋脚、23連の橋桁を持つ鋼製トレッスル橋である。
23連となるのは、各橋脚上に30フィート桁、各橋脚間に60フィート桁がそれぞれ架設されているためである。
土木学会による技術評価では近代土木遺産のAランクに指定されていた。
その独特な構造と鮮やかな朱色がもたらす風景は、鉄道ファンのみならず、
山陰地方を訪れる観光客にも人気があった。
その一方、直近の地元住民は多くの落下物や騒音に悩まされてきた事例もあり、
旧橋梁による負の一面も存在していた。
2010年(平成22年)7月16日午後9時50分頃「はまかぜ」5号の通過をもって営業運行を終了し、
同日深夜に行なわれた同列車上り返却回送をもって車両運用をすべて終了した。
翌7月17日から区間運休し、旧橋梁の解体撤去作業が開始され、新旧切替工事が8月11日まで行われ、
2010年8月12日から新橋梁の供用が始まった。
(Wikipediaより)
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